洛タイ投書箱



戦争の真実を記帳、記録する大切さ
2015年 8月 26日


◆…激暑ともいうべき八月に入ると、新聞や雑誌、テレビのメディアは一斉に戦後七十年を振り返っての検証取材を毎日報じる。すでに七十年の歳月が過ぎ、その記帳、記録はし尽くされたと思いきや、新たな事実を知ったりする。国においてすら、このような状況だから、ましてや地方都市そして市町村においては検証すらされないまま風化していく運命にある。現今の首長や地方議員のほとんどは戦争を知らない人たちばかりではないか。
◆…こうした中で、宇治市は歴史資料館で「戦争遺品展」や、宇治民話の会は第二集目となる戦争体験者の聞き取り文集を刊行されているし、精華町でも町内の高齢者が四年がかりで調査記録した文集を刊行するなど、事業は多彩である。
◆…今年も、「京田辺・綴喜戦争展実行委員会」を組織し、京田辺市と井手、宇治田原両町からの戦争遺品などを集め、展示に取り組んだ。会場が京田辺市中央図書館内であったためか、昨年の553名に対して、641名の観覧者があった。その年代を見てもやはり六十歳代以上が多く、三〜四十歳の責任世代ともいうべき父親、母親も多かった。これは昨今の「歴史の岐路にある今」「真の平和を考える」という私たちのキャッチフレーズに賛同いただいたとも思われる。
◆…八月一日は二人の戦争体験者の貴重な話を聞き、さらに四日から九日までの六日間は、遺族が保存する軍服軍靴類、出征時の寄せ書き、遺書、アルバム、手紙類など身近な人たちの遺品から、戦没者の基地調査や広島、長崎の原爆写真などに関心が集まり、にぎわった。中でも毎年のことながら、地元木津川右岸に墜落したB29爆撃機の当時の資料などに、新しく南山城に移り住んだ人たちの関心が集まった。
◆…私はその中で新しく知り得た二つのことを書きとめておきたい。
◆…一つは、委員の北村武弘氏が、展示されたアルバムの中から城陽市にあった長池陸軍演習場の軍馬が多数居並ぶダイナミックな写真を発見したこと。城陽市史などの資料を見ても写真はなく、私は初めて見た写真であった。(城陽市にはこの演習場のすべてを研究されている人もいるかもしれない)長池演習場は、明治四十四年四月に設置され、主に実弾射撃の演習をするのが目的であったらしい。
◆…もう一つは、南山城地方に疎開してきた「予科練さん」のこと。「田辺町史」(昭和四十三年十二月刊)には、次のように書かれている。引用すると、「本土空襲の激化によって昭和十九年ごろから軍隊や軍需資材の農村地帯への疎開がはじまり、当地にも昭和十九年の夏に陸軍特別攻撃隊の一部である『風』部隊が田辺小学校に、また海軍特別攻撃隊の一部である『伊吹』部隊が草内村の玉草園を中心に疎開してきた。『風』部隊は大久保付近、『伊吹』部隊は琵琶湖方面で訓練を受けていたが、隊員の中には戦後そのまま当地に住みついた人もあった。現町内各小学校の講堂は、軍需資材の疎開格納庫に使用されていた」とある。これらの部隊は南山城地方では、第一山城隊は「上狛」、第二山城隊は「玉水」、第三山城隊は「田辺」という三ヵ所のことであった。
◆…そこで私はさっそく、自分の住む草内区の数人に聞き取りをはじめた。当時のことを教えていただき、井手町史に詳しい宮本敏雪氏はさらに詳しく当時の井手町の予科練さんのことを話してくださった。しかし、まだわからないことがたくさんあるとのこと。
◆…この「予科練さん」と地域住民が呼んだ人たちのことを知っている人、また資料をお持ちの方は洛南タイムスまで知らせてほしいと思います。(京田辺市草内・古川章)

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