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2018年 1月 14日
RAKUNAN TIMES

宇治茶師の源流にスポット
平等院ミュージアム
「平等院候人」の業績探る
冬季展「宇治茶ブランドの形成」が開幕


 世界遺産の平等院(宇治市宇治蓮華)で冬季展「宇治茶ブランドの形成―茶師から茶商へ!平等院にまつわる茶史の秘密―」が13日から平等院ミュージアム「鳳翔館」で開幕した。「お茶の京都博」に呼応して企画したもので、永承7年(1052)に平等院を創建した関白藤原頼通以来、宇治に居住して代々平等院を守護してきた「平等院候人(こうじん)」と呼ばれる家来衆の事績をひも解き、宇治にお茶が伝えられてからは茶園経営にも力を注ぎ、御茶師として今日の宇治茶文化を支えた人物たちの足跡をしのんでいる。

 文献によると平等院候人は新(あたらし)家を筆頭に、祝(はふり)、菱木、今大路、澤、味木、秋月、山上、山岡、大館、酒井など数家あったという。
 藤原摂関家が宇治郷支配のため公文所を設置すると、支配者的な立場に成長し、行政面にも権勢をふるうようになったが、足利将軍家の味方として元亀4年(1573)槇島城の戦いに巻き込まれて敗戦すると、織田信長の報復を恐れ、一時期、宇治を離れた。
 その後、藤原摂関家の近衛家の仲介で赦免され、候人たちは宇治で茶園経営を再開。寛文10年(1670)、元禄11年(1698)の大火で多くの茶師が罹災し、没落するが、明治以降も維新や廃仏毀釈で荒廃した平等院の多くの文化財や宇治茶文化を現在まで継承するための礎を築いた。
 このうち、宇治妙楽の池殿にあった地蔵堂宝珠庵の住職の三嶺守際=さんれいしゅさい=(不詳〜1722)は、候人頭の新家の末裔(えい)で幕府で奉納に用いる茶を調達する御袋茶師・長井仙斎の六男。元禄10年(1697)に完成させた宇治に伝わる最古の地誌「菟道旧記浜千鳥」(上下2冊)を執筆した。
 同書は元禄11年の宇治大火以前の宇治の様子を伝える唯一の貴重な文献で知られる。
 平等院は最勝院(天台宗)、浄土院(浄土宗)が共同で管理しており、企画展では三嶺守際の坐像(最勝院蔵)を初公開した。
 三好茶苦山人こと三好徳三郎(1873〜1939)は自身の生涯史を4冊の大著で綴った。生涯史には明治20年代の平等院の様子や宇治茶の販路拡大のため台湾に渡って辻利茶舗台北支店を開業したこと、平等院に建立した宇治製茶記念碑や辻利右衛門翁の像の経緯などを詳しく掲載している。
 三好徳三郎は若くして台湾に渡り、茶商「辻利」の台北支店を開業。戦後は台湾から引き揚げ「祇園辻利」を創業した。玉露製法を完成させた辻利右衛門の「辻利」とは親戚関係にあり、台湾に支店を出した頃は面倒見の良さから民間総督と呼ばれて親しまれたいという。
 冬季展では生涯を茶業界の発展に捧げ、その遺徳を敬慕するため平等院旧南門の横(現在は正門横に移設)に銅像を建立した辻利右衛門=幼名仙助、後に利兵衛=(1844〜1928)の功績にもスポットを当てている。
 辻利右衛門翁は万延元年(1860)に17歳で私財を投じて茶畑を買い取って辻商店(屋号・山利)を創業。明治元年(1868)、かつては茶師にしか作ることが許されなかった覆下茶園で作る抹茶用の柔らかい生芽を煎茶のように揉んで作る玉露を完成させるなど、製茶法の改良にも尽力。
 生糸と並ぶ輸出製品として脚光が当たった輸出用のお茶を収納する茶壺に代わる資材として木製の茶櫃(ちゃびつ)の内側にブリキを貼り付けた缶櫃を発明。防湿と運搬・取り扱いに優れた茶櫃の出現で茶業界に流通革命が起こったという。
 このほか、茶摘みや製茶の風景を描いた大日本物産図会(個人蔵)、上林清泉(1801〜70)上林楽之軒(1836〜1909)に継承され、大正〜昭和にかけて岡村楽山(1878〜1941)、桂楽峯(1894〜1965)らに継承された茶の木宇治人形も展示している。
 冬季展は3月29日(木)まで開催する。無休、展示替えあり。9時〜17時。料金(平等院拝観料が必要)は大人600円、中高生400円、小学生300円。【岡本幸一】



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